お彼岸~姥捨て山の物語を考える~
おはようございます。
お彼岸期間ですね。
お墓参りに行けるひとたちはお墓参りを
ご仏壇に手を合わせられる人たちは御仏前へ
お墓参りにも行けず、ご仏壇に手を合わせられない人たちは心で想い、
心を慰めて心に想う事を見つめていらっしゃることと思います。
お彼岸に入り、
姥捨て山の話を小さい頃読んで酷いと思った記憶がよみがえりました。
姥捨て山に捨てられる年老いた人たちも、こどもの背中で『こどもはかわいい』と思っていたから、抵抗しないから、(抵抗した人達もいるかもしれませんが、)姥捨て山というのが、長期化して、恐ろしいことに『習慣』と思い込まされていた世代もいたのだと思い、ただただ悲しくなります。
現代でもそうです。
障がいのある人が、ハンデを武器のように使われて、障がい者差別が横行しています。
健常者から見ても、障がい者から見ても、姥捨て山のような悲惨な現実です。
姥捨て山はありませんが、障がい者差別のある時代を現代は生きています。
差別することを『習慣』のように刷り込まれ、思い込まされている世代もいます。
人を殺める人というのは、健常者とか障がい者とかも関係ありません。
しかし、『習慣』のように刷り込まれている世代もいます。
健常者も障がい者も罪を犯す人の中には理由のある人達もいることが、
難しく考える理由に使われているのも悲しいことです。
これ以上書くと世の中の悲しみを綴っていくだけになってしまうので、ここからは読んでくださった人達が考えてください。
暗中模索の時代です。
お彼岸にお線香を立てるだけでも良いかもしれません。
心で想うだけでも良いかもしれません。
季節の行事に暗中模索の時代に生きる心を慰め、
お体御自愛してお過ごしください。
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